2005年に起きた人生最大の波乱。   2007/07/31
アタシは、2005年秋頃まで、ダンナと共に事業を営んでいた。

当時までのアタシは、ずっと音楽と言う世界で生きていて、事業を立ち上げる以前から、ダンナと組んでいる音楽ユニットで、ずっと音楽活動を続けていました。

旦那は音楽業界でエンジニアや、サウンドディレクター、プロデューサー等の職についていた事もあり、そういった旦那の制作技術や知識を活かし、商業ラインでのクオリティーや知識に基づいた在り方で、戦略しながら、ユニット活動を行っていたような感じです。
(※詳しくは、プロフィールのMINTの経歴参照)

そして、2002年には、二人で組んでいたユニットで、
晴れて、メジャーラインにまで到達。

その後、様々な過程を経て、ミュージシャンという立場を兼用しながら、ダンナの過去の職業歴を活かした形で、会社規模は小さいながらも、レコード会社(※CD商品等の制作・全国流通卸、制作全般、他アーティストのマネージメント業務等)を設立し、運営していたわけです。



・・・・それまで、アタシの人生・世界は、ずっと音楽と共にあり、そして、常に音楽業界に目を向けて生きていた。

・・・が、ある日、そういった、それまでの生き方に終符止を打たざるおえない出来事が起こったわけです・・・。
正しくは、やむ終えなく断念せざるおえない形となった・・・という言い方の方が妥当でしょうか。

それは・・・自宅が火災にあったのですわ。
・・・最悪の事態でした。

自宅は鉄筋コンクリートのマンションの一室でしたが、その部屋の内部が、もはや全焼。
しかも、当時の会社は、自宅を兼事務所(スタジオ事務所)と言う形にして運営していた為、何百万も投資した仕事の機材システムや、アーティストとしての今までの活動による音楽データ全てを失ってしまい、それで、事業の方も再開不可能になってしまったわけです。

結局、事業だけでなく、住む場所も生活も、何もかもダメになり・・・
一番最悪だったのは、その日、旦那が大火傷で緊急入院してしまった事。

その時、旦那は、突発的に消防署に電話をかけていて、その後、私がまだ中にいると思った事で(私は、もうダメだと思った瞬間、すぐに外に飛び出してたんですがw)、すでに火と煙に巻かれていた部屋の内部に戻ってしまったんですわ。

そうして逃げ遅れた事で、中はもうアッと言う間に煙で暗黒状態と化してましたから、ダンナは部屋内部の方向感覚が解らなくなり、一度、意識不明になりそうになったそうで・・・。
それでも、今ここで気を失ったら死ぬ!と思ったダンナは、気合で、なんとか意識を保ちながら、そのまま はいずってベランダの窓から脱出。。。
けど、火の海(と言っても、もう家の中の状態は、ものすごい濃い煙が充満してるせいで、目前の火さえも見えなかったくらいだったそう)の中をそのままはいずっていた事で、その後、救急車で運ばれ、3日間は、意識不明の危篤状態に陥ったほどの重態の火傷を負いました。

左腕と両足とお尻の部分が重度の火傷を負っていて、歩けないのは勿論、全身ピクリとも身動き出来ない状態でした。
その為、ダンナは、去年(2005〜2006年中)までずっと入院&リハビリを受けてました。


怪我なく助かったアタシの方は、後に待っている様々な責任の後始末等、人生最大の苦難に、女一人で立ち向かう事に・・・。

当時の状況は、普通の安定した家庭ではないわけで、当然、生命保険も何も入ってない。更に二人で自営なんてやってる状況です。
そこを持ってきて、ダンナがそうなってしまうと・・・どうなるでしょう。
そう、その責任や全ての事は、今度は、奥様の方に圧し掛かってくるんですわ。

そういった事で、私の方が全部、一人で自営の仕事や、事故の責任による後始末等、全ての処理を抱え込む事になり^^; 更に、生活修復の為の事にも駆けずり回りながら、夕方には身動き出来なくなった旦那の介護の為に病院に通う・・といった期間がしばらく続いてたわけで。

・・・しかも、私は両親がいない。
だから、こういう事態の時も頼れる身内もいない。

当然、家もその日からなくなっちゃったわけですから、安いビジネスホテルをてんてんとしながら、落ち着ける場所もないままに、最悪の結果の後片付けをしてました・・・死ぬ気でw
疲れきった時には車で寝たりした時もあった・・・。
乞食同然だわ・・・アタシ_| ̄|〇 とか思って、もう最悪でしたね^^;

旦那の両親は東京ではないので・・・と言っても、たまに休むのに世話にはなりましたが、旦那が身動きできなくなった途端、なんだかいきなり過干渉になって母親のイヤミがはじまったり・・・(笑)
元々、旦那の母親は、かなり息子に依存しているクチでしたから、そうなっても当然。

っても、まぁ、そういう事が起きる前までは優しい綺麗事言ってる両親でしたが、人生経験ある人達というわけでもないので、そういう状況では、平常心ではいられませんからね(笑)
ちなみに、私自身は、金銭的にも義理両親には一切迷惑かけないようには動いてましたし、向こうにもほとんど動いてもらわないようにしてましたが、向こうが私個人に対して、お金や、息子に対する責任を遠まわしに要求するような事をいろいろと言われ、私一人が責任を問われる言葉をいろいろといわれたわけです(笑)

さらには、これまでの夫婦としての経過による、旦那に対する責任だの、姿勢等と、いちいちネチネチ指摘され、まるで「アタシゃ、アンタの息子の母親がわりか?!」と思わんばかりの過干渉ぶり。

息子を思う母の気持ちを考えたら・・・と世間様は思われるでしょうが、その割に、旦那の介護をしていたのはアタシ自身で、義理母は、そのショックで仕事を休んではいても、東京の息子の見舞には、数回しか来ていないw

私が、義理両親の田舎(東京から電車で4時間程の所)にて休ませてもらってる際、再び、物事を片付けに東京へ出て行こうとすると、お金がかかるから、あまり行かない方がいい等とワケわからん事を言われ、「病院にも行かないと、旦那が不自由する」と言うと、病院の完全介護という言葉を頭から信じて「こんな時だから、息子には寂しいのは我慢してもらって、看護婦さんに任せて・・・」等と言い出すw
その病院は緊急病院の為、医者や看護婦の手が回らず、完全介護というのは名ばかりで、そこまで完全な介護まではしないからこそ、旦那がヒィヒィ言ってるのにw

とにかく、細かい事あげりゃキリないですが、本当に、理不尽な事は多々ありました・・・(滅

まぁ、でも、こんなふうに緊急事態になると、そういう家関係の間柄は、そういった亀裂問題に発展する事も、世の中、よくある光景らしいw



とにかく、一番の理不尽は、責任問題に関する事でとやかく言われた事。
そもそも、アタシ自身、というより、うちの家庭の価値観は、戦後消滅したはずの「一家長制度」的な家意識なんてのは、さらさらなく、現代の家庭の法律の在り方「核家族的スタイル」をとっている家庭なわけで(笑)
だからこそ、責任問題に関して社会的に見れば、それは、たしかに私自身の責任ではあるけど、それ以前に「家庭としての夫婦の責任」である。

義理両親に対しては、お騒がせして申し訳ない、という気持ちはあっても、だからって、その問題や家庭の問題にも介入され、とやかくと余分な事を言われる筋合いはさらさらない。

そもそも、私は、義理両親には、自宅のほうにお世話にはなった期間はありましたが、問題に関わる金銭面に関しては、こちらの事で一切出させないよう行動していましたし。
更に、火災にあったマンションの保証人は、義理父になっていたんですが、そういった責任問題に関しても、うちの家系側の叔父が間に入ってくれた事で、その叔父が保証人のかわりを勤めたようなもので、義理父には責任が一切行かないよう、動かなくてすむようにしていたわけです。

ちなみに、私は、両親がいない為、今は亡き、祖父祖母に育てられているのですが、この祖父というのが、一代でいくつかの事業を立ち上げています。
祖父や祖母が亡くなって、家系側の会社や財産等に関しては、祖父の息子(長男)である叔父(私は叔父にとって姪に当たる)が継いでいるので、その後、私は、家系から離れて暮らしていましたが、その家系の中に、会社に関しての法的な分野で動く役割をしてきた存在である、叔父(祖父の妹の旦那に当たる)がおり、その叔父のほうが、私が一人で気張っているのを見るに見かねて、協力体制に入ってくれたわけで・・・。

女であるアタシ自身だけでは弱く、難しい部分・・・例えば、損害賠償による交渉事等、そういった諸々の事に関して、私がどうにかできなければ、必然的に保証人(義理父)に行く問題・・・そういった部分も、私の家系側が、義理両親の盾となって動いてたわけですから。

それでも、感情問題で、とやかくと言いたくなる気持ちは仕方ないのかもしれませんが、でも、そうやって私が気張って動く上で、とやかく余計な事を言われて、エネルギーを奪われるのは、精神的に障害でしかない。

そもそも、謙虚になって、か弱い姿見せて、涙流して、媚びてる前に動くのが先w
・・・そういう開き直り精神が強いアタシは、人生の波乱や苦難を知らないで、安定を重視して来た義理両親達のような人間達には、さぞ、悪者に見える事なのでしょうw
まったく、かわいくない嫁ですわw
でも、それで結構w


まぁ、でも、結局、義理両親との確執の原因は、私の「核家族的スタイル」による価値観が、「家意識」的価値観の強い義理両親(特に義理母)とは、合わない様で・・・。
更に、義理両親は安定を重視したサラリー家庭。
でも、私は事業者家系の中で、育てられているもんで、もう根本的な価値観自体が、思いっきり正反対なのですわw

まぁ、その辺で、会話のすれ違いが起こっているという現象であるというのも、私はサラサラ解ってはいたのだけれど。

とは言え、世間一般の「家意識派」の方々には、私みたいなのは、相当、悪妻的なイメージはあるとは思うのも重々承知の発言ですがw  私も人間、実質的な問題より感情問題の部分に摩り替えられて、どうこう責任押し付け発言されるなら、こちらも、感情部分では、そういう意識に切り替えちゃいますから(-▽-)w





当時は私自身も余裕無いので、そういった事で、いろいろなちょっと醜い争いも起きました(笑)
で、しまいには、それで、私達夫婦ともに、ダンナの両親と衝突して、あげく、こちらから断絶状態。

それ以外にも、問題は多々沸き起こりました。
人がさんざ動いて、様々な経済面の処理もしてだんだんと復興の目処が立ってきた・・・と言う矢先に、銀行からの事業融資以外のダンナの「隠れ借金」が発覚・・・_| ̄|〇

と言っても、以前から音楽業界なんていう不安定な世界でずっとやっていた為、結局、ダンナが金銭の処理がし切れなくなった時は、いつのまにやらどっかから借りてて、それで私が激怒しながらも私個人の貯金から処理したりしていた時期も多々あったわけですが。(この私の行為が、かえってヤツをダメにしたのかもしれないと今では反省してますが)だからこそ、「また!!!」と言う感じで、私も激怒しますわ。

しかも、以前は、20万か、30万くらいだったのですが、その時は、100を超えた金額。
とゆーか、その時点では、旦那の怪我もだんだんと回復に向かってましたが、私自身の方も、もう死ぬ思いして駆けずり回ってやっと・・・と思っていた所に、またまたそんな問題出てくるわけですから、もうガックリ来るというか、なんというか、そりゃあ、ブチ切れます。

しかも、だだでさえ危機的な状況で、義理両親の問題とあわせ、私の中に様々なストレスと問題が圧し掛かっていたわけですから、さすがに、もうそこから、もう夫婦関係に亀裂入りました、まさに。

けど、ダンナも私には元々、甘えてる方だったので、しかも、火傷痛くて余裕無いわ、本人「俺はもうだめだぁ・・・人生終わった・・・_| ̄|〇」とかなんとかフヌケになってましたから(笑)、人が激怒した事で、逆切れして、腐る、腐る。

私も私で、そんなんで逆切れされたりしたもんだから、
「誰が後片付けしてんと思ってんだぁ!(`◇´)ノ
 そっちゃ痛いかもしんないけど、周りの攻撃から守られてて、まだいい身分じゃねーか!(`◇´)ノ」みたいに反逆して、余計、悪化。

しまいには、互いに個々としての責任問題に話題が分裂し、そもそも元は事業夫婦、法律的理屈出し合って言い争ったりしてたもんで、もう「夫婦終わり」とのごとくのグシャグシャドロドロの大喧嘩ですわ。

ホントにねぇ・・・エネルギーだけは人一倍あるガキなんですわw
うちのダンナは。すぐふて腐ると逆切れ(笑)
っていうか、当時、ダンナの方が、私より退廃的になってましたしw 
まー、いざとなると、世の中、女の方が強いですからねぇ・・・(笑)



でも、今だから私もそんな事言ってますが(笑)、当時は、ダンナも死にそうでしたが、私自身も、もう死ぬ、すぐ死ぬ・・・状態でしたね、あの頃は(笑)

・・・というか、ダンナはそんなだし、精神的には誰も頼れる人もいなくて、私一人で動いてましたから、ホント、死んだ方がいっそラクだと思いましたね・・・。

・・・でも「まあ、どうせ死ぬなら、心をからっぽに人形のように何も感じないようにして、死んでもいいから、ただひたすら動き続けて、そんで、死ねたならラッキー♪」とか思いながら(笑)ずーっとひたすら動いてたら、いつの間にか、片付いてましたがw

ある意味、アタシって、まるで、ぶっ壊れたアリの巣を、ただ、もくもくとまた元に戻すアリのようだわ・・・とか思いましたわ(笑)

それでも、不思議と、その苦しかった時期に、心配した男友達とかと話したら「生き生きしてる」とか言われたんですよね・・・。
いや、私、もう死にそうなんですけど・・・^^;とか思ったけど(笑)

しかも、お金お金お金とか、人の不幸をいい事に周りがすごかったから、自分がヘンに悪いと思ったり、謙虚になったり、優しくなったら、飲み込まれる、やられる・・・みたいな感じでしたから、どっかの事業者みたいに開き直って、思いっきり目つりあがってキツくなってたし(笑)
そういう時って、精神的には死にそうでも、火事場のバカ力ってヤツで、エネルギーがみなぎってるように人には見えるのでしょーか?w 不思議ですよねぇ。

まぁ、今でこそ冗談交じりで語ってますけど、当時は、勿論、笑って話せるよーな状態じゃありませんw
夫婦としても、お互い、全く別の設定に敷かれ、更に互いとも全く余裕の無い状態でしたから、離婚話もガンガン出でて泥沼でしたし(笑)
入院して、ヒィヒィ言ってる旦那を必死に労る、よりよい優しい奥様・・・なんてなれませんでしたわw

でも、うちの場合、楽観的で・・・悪く言えば能天気な夫婦なので(笑)そういったいい加減意識のおかげか、ダンナも通常以上のスピードで回復し(医者が驚いましたがw)、今では、手足に跡は残ってはいるけど、すでにもうピンピンしていて、ガンガン働ける現状には至ってます。




その後は、落ち着いた段階になったとは言え、借金もあるし、家財も何もかもなくなっちゃいましたから、経済面の見通しが立つまでは・・・と、私の田舎に。
田舎に弟がいるのですが、その弟が親の遺産として貰っているアパート作りの持ち家があり、そこをかなり安い家賃で間借りする形で仮住まいとしました。

弟のアパートに移ってから一年ほどは、とりあえずは一段落ついた反動で、私ももう一気に鬱状態入ってたりもして、旦那の過去からの私に対する様々な甘えや、義理両親の事等、もう恨み言のように、旦那に対して罵り続けていたりと、酷い有様でしたが(笑)

ただ、元々の性格が楽観的で軽いので(笑)、ヘラヘラしてる時はヘラヘラしてるんですが、何かの拍子に途端に変貌するみたいな、情緒不安定な状況みたいな感じだったかも。

逆に、旦那は体が治ってきてからは、意識もマトモになってきて(それ以前は、意識が投げやりというか、もう腐ってましたがw)、ここ一年で、それ以前からの私に対する、過去の自分の甘えを、たくさんたくさん反省して、今は結構、かなり丸くなったかも?とか「やっとこいつ解ってきたな・・」などと思う感じにはなってますが(笑)




以前の職業の事は、私も旦那も、そこに全てを賭けて、長年積み重ねて突き進んでいた部分もありましたし、そもそも、そんな出来事になる前は、苦痛や打撃もたくさんありましたが、社会的な部分で見た上では、チャンスは次から次へと到来していて、まだまだこれから・・・といった段階でした。

だからこそ、余計に一気になくしたのは、かなり痛かった。
これは事業者の方なら解る痛みだとは思いますが。

なので、弟のアパートに来てとりあえず落ち着いてから、最初の頃は、夫婦して、もう完全に生きる目的というか希望を失っていましたね・・・。

しかし、時間の経過というものは、何よりの薬。
時が過ぎていく上で、だんだんと落ち着いていき、とりあえずはダンナも、生活の為に、一般社会の仕事をし始めました。

その最中、幸運にも、現代急成長してきた類の若い考え方の某大手トップ企業から、ダンナの過去の特殊な経歴や実績によって目をかけられました。
今度は業界は違いますが、また良い状況にも恵まれてきたというわけです。
ダンナは、今度は事業者ではなく、サラリーと言う立場で、一般社会の新しい方面に、かなりやる気になっています。

また、私自身は、同時に「ぁあ、アタシの人生は、やっとここで安定するのか」と言った感じで、逆に、静かな思いで、自身の夢への思いに対する諦めを克服していったような感じ。
その後、「女性としての平凡な安定」と言う状態を得られた事に、じょじょに幸せを感じつつあります。

つまり、無くしてしまったものは大きかったけど、また別の人生として、また違う方向からのチャンスに、前の事コロッと忘れて(笑)もう他に目を向けてる・・・と言った感じかな?w (←そもそも、今まで、人生の展開がコロコロある人なので、視点の切り替わりの早さが人一倍早いのかもw こういうのが能天気夫婦。)


ただ、どーも、なーんか時々、不安になるんですよねー・・・。
と言うのも、この最悪な事態を迎える以前も、私の人生というのは、幼少時代から、ずっと、一般的でない波乱万丈なジェットコースター人生でした。

とは言っても、まぁ、過去には若気の至り等で、自分から苦境の道を選んでる部分もあるけど、けど、そうなりたくなくて、そうなっているわけじゃないという部分もいろいろとあったりと言った感じ。
(これから、ココで、そんな人生ネタをたくさん書いていこうと思ってますがw)

けど、全てを語ると、波乱が多い人生なのはたしかですが、多分、この話でも解るように、人から見れば、多分、幸せなんだか不幸なんだか解らない人、つまり、幸か不幸か解らないような人生設定パターンの人・・・といった方が妥当かとw

それが、幼少時代からそうで、一見、羨ましがられて僻まれたりするような環境にあると思いきや、逆に、裏側や話す部分を変えて語れば、人に哀れまれたりするようなネタもたくさん持ち合わせてたり。

ドーンと上がったりドーンと落ちたり・・・。
なんだか、人が羨ましがるような設定がガーンと来たりしてても、その間、せっかく苦悩して積み重ねても、すぐに失われたりとか。
だから、私の人生は、また、ドーンと落ちる事が来るんではないかと。

・・・・けど、結局、プラマイゼロみたいな感じにはなるんですけどw
ジクザグが激しい、結局、プラマイゼロの人生(笑)みたいなw


はぁぁぁ。冗談言ってる場合でない。。。
いい加減、ジェットコースター人生疲れたわぁ・・・_| ̄|〇
平和な余生を送りたい・・・w



※このコラムは、2007/07/31 に掲載しました。
 現在は、更にまた多少の状況が変わり、
 心情の変化もいろいろありましたが、
 それはまた別の機会で・・・。
 ただ、生活状況は良好ですのでご心配なくw


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