当時のリアル裏事情☆暴露ネタ
MINTについて

2002年、MINTはスカウトによって、新規レーベル"Vortex Records"にて所属。
ユニバーサルミュージックからのメジャーデビューが決定する。

また、ユニットプロデューサーであった「tatsuya-A」は、元々音楽業界のデジタルコンテンツ企業にてキングやクラウン等の作品を主としたレコーディング業務をエンジニアとして担当していた経歴があり、更にその中でディレクター等の業務経験による実績等もあった事から、所属レーベル側の意向で、ユニット担当としての企業プロデューサーも兼任する事となる。

このように自由にプロデュース出来るスタイルを確保し、MINTはデビューに向けて準備を進めていた。
しかし、所属レーベルの提携先である制作兼流通企業と所属レーベル側の方針の違いにより、デビュー準備の経過途中、双方の意見の相違や食い違い等が重なり、MINTと制作側で確執問題が発生していく流れに。

また、tatsuya-Aがアーティストとプロデューサー業務を両立する立場上、企業プロデューサーとしての原盤権利や労働対価等の問題もあり、それら諸々の問題等を考えた末、所属レーベル社長と穏便な話し合いの末に、所属契約を破棄して頂きフリーに戻る事を選択しました。


その後、更なる地固めをする為の充電期間が続いた上で、自分達の状況にあった形での様々な活動方法や販売戦略を考えた末、tatsuya-A(元旦那)の音楽業務を兼ねた形での独立を決意する。

2004年に、tatsuya-A(元旦那)を代表とし、二人でレコード会社「FUTURE SURROUND RECORDS 」を設立。
インディーズ全国流通企業と業務委託提携をし、更に「MINT」を媒体に大手メジャー企業とも流通提携をする。
レーベルとしては、メジャーとインディーズ流通の2つの全国流通販売網を確保した。

銀行融資を受け、独自に音楽製作スタジオを儲け、音楽レーベル事業、音楽制作事業、原盤製作・プレス事業等・自社を発売元とした各音楽ソフトの全国流通販売事業を展開。
私自身は、その中で、企画・A&R・WEB制作管理等々...の役割を担当し、経営の半分に携わっていました。

(※メジャー流通に関しては、ある時期、ビクターインターナショナルの担当者の方から、個人的にMINTについて問い合わせがあり、元旦那が六本木ヒルズのビクターエイターテイメント事務所 <※事務所というよりあそこはもはや高層ビルの中の庭園だった...と元旦那は語ってたがw> にて、担当者様と面談した上で、MINTに関してのみ、担当者様の意向で流通させて貰える事になった。
また自社所属アーティストの流通に関して交渉してみた結果、都度、担当者の方が個別に要審査する事で対応して頂けるという話に。<※審査難易度はかなり高い。また、元旦那がレコーディングを手掛けたものに限る...という話だった>
本来メジャーレコード会社との流通というのは、レーベルとしての実績あるいは取引金額等の敷居が相当高いので、無名や個人では滅多に流通させて貰えないのだが...音楽業界はコネ業界とも言われる為、それに限らない場合もある。
この時は、担当者の方が個人的に、元旦那のレコーディング・サウンドクオリティーに興味を持って頂いた模様。)


「MINT」に関しては「社内レーベルの所属アーティスト」と言う形をとり、その他、別アーティストのプロデュースや原盤製作・商品流通等を請け負う業務等の傍ら自分達の音楽活動は、独自ペースにてデビュー準備を進めていた。



...しかし、2005年10月5日。
やっと事業が回転し始めたばかりの頃、不慮の火災によって、自宅兼事務所が全焼してしまう。
[※火災時の波乱を語った記事はこちら]

全焼となるほどの火災によって、数百万投資したレコーディングシステムは勿論、音楽データが全て入っていたPC、家財までも、全てを焼失してしまう事によって経営も音楽活動も続けていく事は実質的に不可能となり...全てを断念せざるおえない状況となる。

結局、その一夜の出来事を境に、音楽業界での道は、完全に幕を下ろしました。

MINTのサイトは2006年まで残っていて、ネット上のみにデータは一部残っていましたが...その出来事から、しばらくの期間PCに接続出来ない状態が続いた為、入金時期を逃してしまい、レンタルサーバー会社により全てデータも消去。

当時の楽曲で唯一残っているのは、デビュー予定だった2曲入りのプリプロダクションのみです。
(人にコピーして渡していた分を、コピーさせて貰ったもの)

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