当時のリアル裏事情☆暴露ネタ

人生経歴



幼少時代

弟と二人兄弟、父母共に東京の目黒にて育つ。

今思えば、裕福な家庭で育っていたと思う。
小さい頃はバレェだのピアノだのの習い事もしていて、金がかかると有名な「劇団ひまわり」に所属していて、CMや子役で映画に出てた事等もあった。
[※アルバム/幼少時代]


小学校5年、両親が離婚。
その後自分と弟は神奈川の母方の両親である祖父祖母の元に預けられ育つ。
(※ちなみに父は婿養子の為、その後父との接触はほぼなし。)

母方の実家は、地方でありがちな小規模の金持ちであった。
祖父が一代で幾つかの事業を立ち上げている為、神奈川県内に土地等の財を築き上げており、各地の会社には親族を重役として置き固めている...といったような典型的な親族事業家系。

メイン事業は観光ホテルであり、本家自宅が敷地内にある事で、私生活も会社と密接しており、また近い親族も重役として同じ敷地内に住んでいる為、親戚も家族のような密接な関係にある...といった特殊な環境でした。

たしかにそこそこ裕福な環境ではありましたが、そこは「家庭」というより会社意識の強い環境で、トップの祖父を絶対権力とする、まさに一家長制度の在り方の「男性優位家系」だった。

そして両親離婚後、母が自分と弟を祖父祖母の元に置いたまま、離婚以前から付き合っていた男性と突如失踪...汗。
(当時はまだ幼かった為、周りには、母は病気で入院していると言われていた。)


ちなみに父は祖父の会社の重役に就いていた婿養子の為、自分が生まれる前は両親共に祖父の傍で生活していたらしいのですが。
母は、昔から祖父の独裁的な在り方による過干渉や厳しさが嫌で嫌でたまらずにいた上、父もそんな祖父のそばで仕事をしていた事で肩身の狭いを思いをしていたらしく、後に、東京目黒にある営業所の方へ赴任する...と言う形で、東京へ移り住んでいたらしい。

こういった経路や、母の「祖父から離れたい」という思い等は、母亡き後に出てきた母の日記で知った。
また、母が父と結婚したのは、恐らく祖父から離れて家を出たい一心もあった、と周りの人間からも聞かされた。

だからこそ母は離婚後、また祖父の元に戻るのが嫌だったから、今度は別の男性に頼り、失踪したんじゃないかと。
(自分も後の人生で、祖父の独裁的過干渉に嫌気がさして不良化した為w 気持ちはよ〜く解る...^^;)

このような過程を経て、自分のこの後の人生は、そんな環境下で祖父祖母が保護者となり育てられている。
そして、後々は私自身も「まるで時代錯誤の一家長制度時代のような(周りが祖父に絶対逆らえない)家系環境」と「独裁的で横暴な祖父」に対し、大いに不満と反発心を抱いて、反逆していく事になるわけで。

祖父と私の確執、そして家系の中の人間関係や、祖父が亡くなるまでの経路等は以下にて綴っています。
[※ブログ/祖父の事〜金のある家の裏話]


10代

私は祖父に牙を向き始め、14歳の頃から非行化。
警察や青少年センター等に何度も厄介になり「会社の看板が」「お前は看板背負った孫娘なんだから」と説教しまくる祖父と取っ組み合いまでして衝突しまくっていたw
(世間の方々、当時はご迷惑おかけしました〜(-▽-)...でももう時効よねw ←ぉいw)

そして13歳の頃、突然、失踪していた母親が本家に帰って来る。
母は、自分と違い世間知らずのお嬢様だった為、相手の男性に騙され結婚詐欺にあい、持っていた財産等は全て無一文状態で祖父の元に戻って来る。

その心労からか、母は、その時すでに病気を患っていて、自分が中2の頃に肺癌で亡くなった。(母38歳)

その後、私自身の非行化は、ますます拍車がかかり、周りの人間の手を焼かさせていた。
中3になってからは殆ど学校には行かず毎日仲間とフラフラと遊びまわっていた為、出席日数が足りない事で卒業が危ういと言われる。(つか中学もそうなのか?^^;)
担任の先生には「いるかいないか解らないと出席がつけられない。だから先生に顔見せるだけでいいから学校来い」等と言われていた始末。

当然、勉強等何もしてない上、不登校や進学に関わるテストなんかも放棄してた為w、マトモな高校進学は無理との事で、周りの先生達や内輪等に勧められ、東京の美容専門学校(マックスファクターなんちゃらとか言ったような)に行く前提になって願書を取り寄せたりしていた。

...が、突然自分は気が変わり「働く」と言い出し、それを蹴ってしまうw

...あの頃の自分は、とにかく祖父の傍にいるのが嫌で嫌で、サッサと自立して早く家を出たかったわけだ。

そして中学卒業。
16歳になった途端、家を飛び出して、当時のヤンキーの彼氏(17歳)と同棲。

同棲してたアパートは、そのうち族仲間のたまり場になり、薬物だの暴走行為等の関係で、近所から通報されまくっており、果てには警察にマークされる始末w
自分は未成年で保護者の元に居ない状態である為、そのうち警察から逮捕状が出てたらしく、果てには祖父の差し金によって、人を使って裏で手を回され、泣く泣く家に連れ戻される事にw

(本人は「カンベツでも何処でも入れろ、家にいるよかマシだぁーーー!!!(`◇´)ノ」とかいつも騒いでいたが。周りが勝手に動いて何かしら片処理されるのよね〜...)

アタシは、その後も懲りずに、何度でも家出を繰り返してた。
しかし、そのたび祖父の一声で周りに連れ戻されたり、祖父との堂々巡りの確執による争いは続いていた。

...そして17歳の頃、懲りずにまた家を出て、当時の彼氏と同棲を始める。
再び、そこは族仲間のたまり場となり、やっている事は前と余り変わらなかったが、以前より賢くはなっているのでw、警察に捕まったり、通報なんかもされないようにうまくやっていた為、表向きには問題は起こさず過ごしていたw

(それは社会的に罰せられるのが嫌というより、祖父が干渉してくるのが嫌だからw それほど嫌だったのよ...w)

とはいえ、祖父祖母の住む地方の地元内に居る限り、結局は祖父の権力が届いてしまう場所なので、完全に祖父からの干渉から離れられた...というわけではありませんでしたが。
(よその遠くの町でも行きゃいいんだけど、ヤンキー時代って友達同士の輪があるから結局、地元からは離れたくないのよね...w(-▽-)

自分は当時、17歳からずっと水商売だった。
更に18歳の時に車の免許をとったが、それもシャコタンに乗りたいが為の目的w
更に後には族のレディース(月下美人と言うw)立ち上げ、自分が頭までやってた...という始末w

...まぁ、ヤンチャ時代は色んな事があったし、それはそれで楽しかったんだけどw

20代

20代前後は、すでに成人という事もあり、いつの間にか祖父の干渉も殆どなくなっていて、祖父とも関わる亊も殆どなくなっていた。
(...そりゃ悪事を発見されたら怒られたりはしたけども...しかし見つかるとうるさかったのは薬物関係くらいで、警察に捕まるような事が無ければ、案外、族とかやってても口出さなくなってたw)

当時、私と祖母の方の関係は良好で何でも話したりして、すごく仲がよかった。
祖父の干渉がなくなった事もあり、自分も自宅がそこまで嫌ではなくなってた為、たまには実家に帰って来て、祖母と生活してた時期もありました。

当時は、さほど悪行はしてませんでしたが(さほど?w)...
仕事は相変わらず水商売、お水仲間や元ヤン仲間と毎日朝まで飲み歩いたり、時にナンパされてクラブ行って踊りまくってたりと毎日プラプラと遊びまわっていた感じですw

その時代は、ピタピタのボディコン着た女達がお立ち台の上で羽のついたセンス振りまわしてテクノ踊ってるよーな時代。
当然、自分がその流行に乗らずにいないわけがないw
(...つまりヤンキーからボディコン女へ変化したw)

20代前半、何にも先の事なんて考えず楽しい事だけ求めチャラチャラした日々を送っていましたね。

しかし、20代のある時期、とうとう唯一の理解者&優しかった祖母が亡くなる。

1995年〜

この頃から、だんだんそんな自分の在り方に矛盾や疑問を感じ始めていていた。
元ヤン仲間に囲まれた友達繋がりだけの環境の中で、先の未来も何も考えず、毎日飲んだくれ遊びほうけ、その日暮らしの日々。
そんな自分の生き方に矛盾を感じてきて、何をしてもおもしろくなくなっていた...つまり、それまでの自分の視野の狭さに気がつきはじめたわけです。

そして、祖母がなくなった事もきっかけとなり、亡き祖母の資産を元手に突然、大勢の遊び仲間がいた地元を去って、故郷でもある東京に出て、一人で新生活を始める。

1996年頃〜

東京・目黒にてマンションを借り、一人暮らしをはじめる。
東京行きたての時期は、お水やったり、ナンパされた男とクラブ行って遊んでたりと地元にいる頃と相変わらずな行動もありましたが...(汗)

やがて、今までとは価値観が180度変わっていき、自分にとって第2の人生が開けていく事になる。
(※この頃に隠れたオタクの性分を発揮しはじめ、PCにハマり色んな事を詰め込む。ちなみにPCはWIN95辺りの時代。WEB履歴参照)

東京に出る前から音楽方面の事に興味を持っていた流れもあり、プロ志向で活動するインディーズバンドにヴォーカルとして誘われ、初めてのバンド活動を経験したりする。

...そして、それからは本格的に音楽の道へ突き進む事に。

この頃に元旦那と出会って、付き合い始め、そのうち同棲する。
(元旦那も、元々ビジュアル系インディーズバンドで活動していたバンドマン)

その後は、それまでやっていたバンドを辞めてしまったりと様々な過程がありましたが、後には、元旦那と一緒に音楽活動をする流れになります。
(※音楽活動含め、それまでの細かな活動経歴については、WEB履歴やブログ等を参照)

2000年〜

祖父が脳梗塞で亡くなる。
祖父とは本当に色々あった...そのへんも全て以下で綴っています。
[※ブログ/祖父の事〜金のある家の裏話]

2002年〜

元旦那と共にやっていた音楽ユニットでメジャーライン到達する。
ユニバーサルミュージック傘下レーベルに所属し、アーティスト所属契約を結ぶ。


元々、元旦那は音楽業界のデジタルコンテンツ企業にてキングやクラウン等の作品を主としたレコーディング業務をエンジニアとして担当していた経歴があり、更にその中でディレクター等の業務経験による実績等もあった事で、所属先レーベル側の意向により、ユニット担当としての企業プロデューサーも兼任し、進めていくことになる。

しかし、所属レーベルと提携先企業との方針の違い等から、提携先企業の担当者と確執問題が発生したり、元旦那がアーティストとプロデューサー業務を両立する立場上、企業プロデューサーとしての原盤権利や労働対価等の問題もあり、それら諸々の問題等を考えた末、所属レーベル社長と穏便な話し合いの末、所属契約を破棄して頂いた上でフリーに戻る事を選択。


この出来事については、以下ブログ記事で詳しい内情を暴露しています。
[※メジャー流通企業に所属してた頃の業界裏話)]



2003年〜

元旦那と籍を入れる。
同時に東京都町田市へ引っ越し、生活。


結婚とは言っても元旦那とはそれまで数年同棲していた為、婚姻以前からの内縁状態ではありましたが、この段階で籍を入れた理由は、今後、音楽を続ける為でもありました。

(式等の形式的な事には拘らない価値観。
私的には子供を作る選択も、すでに人生の上では考えていなかった。)

メジャーデビュー辞退の件では「音楽業界も不景気の波に飲み込まれている」と言うのをまさに実感したようなもので、それと同時に「自分達の生活」と言う現実問題にぶち当たった。

一言で言えば「夢の成功」までには「金」が絶対的にかかっていくわけです。
デカい夢程に莫大な金がね...

特にメジャーとインディーズの狭間ラインの音楽業界では、いわゆる「体育会系」の匂いがぷんぷんしてます。
その中で、むやみに「その業界でのビジネス論」を持って干渉され、生活を崩される事にならない為には「既婚者=夫婦と言った社会的信頼のある関係」を持つ亊が、外部に軽視されない為の「守り」になるとも思ったからです。

結婚は自分にとっては1つの手段であった為、全く浮かれた意識等はなく、むしろ音楽方面の事で、二人して低迷し道が途絶えたような挫折感の中にいて、手探りで業界の情勢等を調べまくり、試行錯誤していました。

この時期はユニットの充電期間を兼ね、その後に起業する為の勉強期間とも言える時期だった。

2004年〜

悩んだ挙句、アーティストは続けながらレーベルとして独立する事を決意。

元旦那を代表取締役とし、二人でレコード会社を設立。


きっかけは、自分達のユニットの実績の上で、インディーズとメジャー双方からの全国流販売網を確保出来た事です。
商工会に相談しつつ、銀行から事業融資をしてもらい、個人事業ながらにもキチンと事業登録を行い、徐々に練り固め構築していきました。

融資を使い、独自に音楽製作自社スタジオ設備等を整え「音楽レーベル事業、音楽制作事業、原盤製作・プレス事業、自社を発売元とした各音楽ソフトの全国流通販売事業」といった事業内容を展開。

その後、少しずつ運営も周り始め、他アーティストのプロデュースや原盤製作・他アーティストのインディーズ商品流通業務等も請け負いながら、自分達のユニットの方は、メジャーレコード会社からの商品流通審査が通った事で、自社からのメジャーデビュー準備を進めていました。


この頃の自分は、アーティストというより、完全に企業思考に傾いてしまっていて、寝ても覚めても戦略を考え始終カリカリキリキリしてましたね...^^;
たしかに小規模ながらにチャンスは次々と到来し、時間はかかりつつも、少しずつ物事は進んで、前向きに生きている充実感はありましたが...

しかし、一面では相当にストレスを感じていた面もあり、果たして、これは本当に自分が望んだ道なのだろうか、とさえも時折感じていました。

まぁ、今思えば、肩に力が入りすぎていて、その業界の中の風に流されて、何かを見失いがちであったとも言えます。


2005年〜

思わぬ不幸による人生の転機。
不慮の火災により、長年積み重ねてきたもの全てが崩れ去る事に。


これにより、今までのアーティスト活動も事業も、果てには東京での生活も全て断念せざるおえない形に。
それにより長年の夢はあっけなく終結する事になる。


(※火災の時の状況は、こちらの記事で詳しく書いています)

残されたものは、事業借金のみ。
千万単位の多額ではなかった借金なのが不幸中の幸いとは言えますが。
しかし長年に渡り、自身の方からも音楽機材等へ数百万単位の投資をしてきただけに、音楽業界への復帰はもう無理で「人並みの生活基盤の修復」という目標だけでせいいっぱいでした。

特にアーティストに関しては、もう一度1から挑戦する程、年齢的に自分は無理だろうな...と悟った事もあり。


その後は東京での生活も断念し、神奈川の地元に元旦那と一緒に戻って、1から生活基盤の立て直し期間に入る。

生活する場が出来る事で落ち着いた時期には、一気に膿が出たのか。
...二人して鬱状態で数年引きこもりました^^;

何もかもを失い、生きる気力をも失う...というのはまさにこの事。
「いい加減に生きた後、前向きになって上目指して頑張ってたのに」
「自分の人生で、やっと見つけた「生きがい」だったのに。」
等と、人生の矛盾に途方に暮れ、精神的打撃は相当なものだった^^;


...この頃は精神的に一番きつかったかも。
長い間こんなふうに語れない所か、人にも話したくなかったし、音楽を聞くのも見るのも嫌でした。

...完全に吹っ切るまで数年。長い時間がかかった。

その間、様々な事を掘り下げて考え続けていたが、
結局「人生の諦め」という事を学んだのかもしれない
...と今では思います。
(...精神的大人への道の第一歩w)


しかし、この出来事後にも、数年に渡り波乱の出来事は続く...

2007年〜

完全に音楽業界から疎遠になり、火事で入院していた元旦那も全快した後は、一般社会で普通に仕事をし始めた事で、暮らしも落ち着いていきました。

当時、元旦那は某有名大手企業に就職出来た事で、なんだかんだと運がいい方なのかもしれない...等と、その頃はまた少し希望が湧いていましたが。
しかし気づけば、不景気から下降まっしぐらの世の中、すでに大手だろうといい思いは早々出来ないという社会になっていた...。

この頃は、様々な責任問題や金銭問題等で夫婦喧嘩が絶えず...
というより、すでに事業を始めた頃から、このような問題はあった。
更に火災の件から、義理両親の理不尽な介入等もあったりと、夫婦の信頼関係がどんどん悪化し、当時は、すでに亀裂が入っていました。

その挙句、(どちらかというと自分の方の気持ちが^^;)完全に修復不可能な状態にまでなっていたと言える。


2010年〜

...この年の1月に、とうとう元旦那と離婚。

まぁ、完全に泥沼離婚でしたねw

長期間、音楽等の不安定な事をやっていたのもありますが、自身も固有資産を相当に投資していたり、元旦那の経済観念の事でキリキリしていたりと。
更に離婚後も、財産分与や事業借金の連帯保証人をしていた件等を含め、元旦那とはお金の事で、ずっと揉め続けていました。

...その裏側や過程の話は、以下でガンガンに書き殴っていますw
[※ブログ/元旦那との離婚過程]
[※ブログ/離婚〜ダメ男が構成された家庭環境]


そして現在...

さすがに波乱と疲労が続いた人生に一気に疲れたのか、「何も問題のない平和な余生を送りたい」という意識に変わって、すでに数年w

現在は、ちょっと普通でもないけれどw 案外平和に生活しています。
昔は気張っていたけど、現在は完全に肩の力抜き、ありのままに、好きなように、手を抜きつつ生きていますw

過去の事を振り返っても、自分の事を客観視して語れるようになった現在の自分がつくづく思うのは...
カタガキとかテッペンとかそんなものより、平和でいられる「普通」が一番幸せなのかもしれない..と。

...それでも、未だ能天気な部分は相変わらずですが。
でも、人生何があってもどんな状況でも、それを楽しんで生きるに限るw(-▽-)
それが出来る人がホントの意味での勝ち組なのかもしれないなと。。。

今のアタシはつくづくそう思います。

ブログでも、今までの人生の具体的な裏話や様々な出来事を分析した記事等、長文で書きなぐっていますが。
最後まで読んでくれた重い話が大好きなそこの貴方...
機会があれば、ブログの方も覗いてみて下さいネw


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