★ゆいスクリプト-チェック

2016/02/13

ふと思った、愛についてのお話w (途中、電波流れ注意w

Category:[心理/スピ系・電波思考]

今回の事で色々考えた上で。。。。
アタシは、何か大事な事に気が付いた気がする。

ちょっとすんごいマジ話になっちゃうけど。
「愛」って事について。

アタシだけじゃなく、みんな「愛」ってなんだろう。
とか思った事ってあると思う。

それが何か解ったような気がするっていうか。

愛ってなんだろう....って考えてる以前に、自分の周りに
そんなものたくさん転がってたじゃないかって思ったんだよ。

今まで周りにいた人達の中に
(それは恋愛関係に限らず、人間関係全般の中で)、
そこに「当たり前にあるもの」であって、みんな
「当たり前に持ってるもの」なのかもしれないって。

そしてそれは、誰も当たり前に感じていて、
自分の周りにいつも転がってるものなんじゃないか?って。

それは小さな些細な事、いつも与え合ってるもの。

だからこそ、「愛ってなんだろう」って考えるって事は、
そういう当たり前にあるものに気が付いてないから、
何かもっと大きなものを期待しすぎて、
模索してる事に過ぎないんじゃないか....って。

「愛」というのは、つまり
「自分から何も奪おうとせず(物質的なものも精神的なものも時間も含めて)
 何の見返りも要求されず、ただ、相手が無償の気持ちで与えてくれたもの」
なんだと思う。

それは、つまり、些細な思いやりだったり、小さな気遣いだったり、
誰でも日常に貰っていて、そして自分もしている事に過ぎないんだと。
(だから、誰でも愛を持っていて、人にも与えて、与え合っているという事)

但し、それは、見返りを期待した上でやっている事ではなく、
そこに何の下心もなく、ただ、自然と与えてるものである事が条件。

それが、その人の持っている「愛」なんだと。
だから、本当に些細な小さな小さな気持ちなんだと思う。



勿論、人により、その大小というのは、それぞれ違うとは思う。
つまり、人より豊かな人であれば(決して物質的な意味だけではなく)
人にたくさん与えている人もいるし、特別な関係では、そこに
なんらかのエネルギーが発生するからこそ、赤の他人に対するより、
大きく与えられる場合もあると思う。


しかし、人間関係というのは、そのバランスが悪くなっていく場合もある。
与えられる事に味をしめると、自分が与える事をサボりだし、
与えられる事ばかり要求してしまったりする人もいる。

そうなると、そのバランスは、悪くなり、その関係が崩れていく。

与えている側は、無償の気持ちが消え、
だんだん不服(見返りがないという思い)を感じていく。

しかし、そうなってきたとしても、工夫は出来る。
そうであれば、自分が苦痛を感じないように、その行為をストップしてしまえばいい。

しかし、一度与えたものに味をしめた側は、人によっては、
今度は、それを無理に要求しだす...というパターンもあるわけだ。



愛情というのは、お金と同じで、むやみに相手に見せて与えてしまうと、
心の弱い人達(愛情飢餓状態の人達ともいう)にとっては、
そこに欲が発生してしまうんじゃないかと。

そういう人間に接していると、自分が一方的に合わせたり、
与えたりしなければならない状態にじょじょに陥っていき、
つまり無意識のうちに無理に尽くす事になったり、
我慢を強いられる事になったりして、そして.....苦しみを感じていく。


更に、相手の意識に波長を合わせる事により、
相手の心の中の闇を見る事になり、
自分の意識もそこに染まって行く。

その意識は、とても寒々しい、とても寂しくて、
乾いたような空虚感・・・・(愛情飢餓状態)

そういった人の意識の世界から抜け出し、自分の世界に意識を戻すと、
「今まで当たり前にあった、小さなたくさんの愛を感じていた世界」
に戻り、エネルギーが戻ってくるのを感じる。


だからこそ、自分の世界に戻ってきた時は、
「ぁあ・・・なんだ。アタシの周りには、
 こんなにも自然に小さな愛にあふれていたんじゃないか」
「結局、愛っていうのは、こういう事なのかもしれないな....」
....って、なんだか漠然と思えたのかもしれない。




きっと、愛情飢餓状態の人達というのは、自分の心の目が、
そういう視点で、自分の周りの世界をみていないんじゃないかと。
自分の心を、そういうものを感じない方向にシャットアウトしていて、
そのせいで勝手に、自分で自分の心の中を
「寒い世界」に変えているだけなんじゃないかと。

周りから与えられる愛に対して、とても大きなものを期待しすぎてるから、
自分の周りに当たり前に転がっている、小さな幸せや
愛には目も向けてないから見えていない・・・

そのせいで、自分の心の中の世界を、自分が好きで、
寂しくて寒い世界に変えているに過ぎない。



そもそもスピリチュアルの世界(死後の世界・精神世界)ってのも、
そういう自分の心が反映した世界と言われているからね・・・。

例えば、人というのは、仮に同じ環境や状況に置かれていたとしても、
それを苦痛に思う人と、思わない人というのがいる。

それは「それが自分に合う合わない」(生き方とか環境とか)
が理由の場合も勿論あるだろうけど、そういう場合とは別に、
その人の気持ちの持ち方の問題で、その状況に対しての
心のあり方が違う...という場合もある。

要は、それを必要以上に不幸だと思う人と、
そういう感じ方をしないように工夫する人がいる
という事。

だから、みんな同じ世界に生きていても、その世界で、
自分の心の中で感じてる、描いているイメージというのが、
死んだ後に行く世界
だといわれているわけ。



スピ論では・・・・
「今の時代のこの世というのは、地獄のようになっている」....と、言っている。
(だから、現代は、生まれてきても、闇に魂を落としやすいという時代らしい)

だからこそ、その闇に取り込まれないように、見なくていいものを感じないよう、
「自分の心を汚さないようにする為に現実逃避する事」も工夫の一つなのだ。
(今の若い子で、ニートやオタクが増えている現象というのは、
 スピの世界から見ると、そういったことらしい。
 でも、スピの世界から見ると、それは自然現象であって罪ではないらしい。)

ただ、どんな現実逃避の仕方もありだけど、その事で、
他人を巻き込んで迷惑かけたり、他人を苦しませさえしなければ、
それはそれで罪ではない....とアタシは思うわけだ。

自分の為に、他人を巻き込み、物質的な事だけではなく、
他人の時間・意思・心等を、無理やり奪い、コントロールして、
自分の心を埋めようとする行為や在り方というのは、
「エネルギー泥棒」と言われるくらい罪な事と言われている。

その行為をすればするほど
(一見は人に気がつかれていなくとも、自分が
そういった下心で相手に接している事自体も含め)
それが、うまくいかなかった時、本人は絶望を感じ、そのせいで
自分の心の中に自分で闇を作り、更に、自分が苦しみもがく事になる。

....それは誰のせいでもない。
自分自身が好きでそうしている事。


自分の周りの世界は、自分のイメージが作り出している世界に過ぎない
心理学でも、スピ論でも、よくこういう説を言ってるけど、
アタシも、まさにそういう事だと思う。


だからこそ、普段からアタシ達は、
自分の心の中のイメージを常に綺麗にしておく為の、心の工夫をするしかない
のだ。


ものすごい電波な方向から、ただツラツラと書いてしまったけど・・・
アタシはそういう事だと思う。

(ちと、仕事前に、お告げのようにww 頭に浮かんだ事を
 そのままツラツラ書いてるので、後で改編するかもw)

posted at 2016/02/13 13:43:40 | lastupdate at 2016/10/20 8:43:01

 


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