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2013/02/12

祖父の事〜金のある家の裏話 -4-

Category:[長編/金のある家の裏話 ]

◆注意:
こちらの読み物は作者本人の波乱万丈・人生体験談です。シビアで重い話が苦手な方にはお勧めしません。観覧はあくまでも個人の判断の元お願いいたします。


話は大きく逸れたましたが。。。w
とにかく祖父や家系の事は、アタシにとって様々なドラマがあって、
今の私自身の性質や性格を形成している上で、かなり大きく影響していていると思ってます。

10代の頃、私は常に干渉され続ける事で、ある「拘束感」のようなものを常に感じていた...
そしていつも「自由になりたい!」と思っていて、早く大人になって家を出る事ばかり考えていた。

なので、早く自立したくて、中学を卒業してから高校は行きませんでした。
まぁ、ヤンキーだった為、キチンとした就職もしてない状態で、バイトと無職を繰り返して、
当時のヤンキー仲間と遊び歩いて、家出を繰り返していた。

そして、16歳の頃、当時の彼氏と同棲した事で、完全に家を出る事になりましたが、
それでも祖父母の目の届く範囲(地元)にいる為、完全に決別したわけではありませんでした。

でも、18歳〜20歳をすぎてからは「法的にも自己責任となる大人」である事から、
干渉はされなくなっていましたが、忘れた頃には、親族の集まりやなんだので
私も引っ張り出されたりして、祖父と関わる事はありました。。。
(祖父がいる頃は強制参加の行事がやたら多い家系だった^^;)
アタシとの衝突はなくなっていたけど、祖父の性格自体は相変わらずなので、
近くに寄ると自分の機嫌次第でピリピリとする為、周り同様、
私もあまり近寄ろうとはしてなかった。


また、アタシが大人に対して噛み付くようなその性質は、
祖父に干渉されなくなってきていた18歳くらいの頃から丸くなって、
その頃から、祖母の方とはいろんな話をするようにはなっていました。

アタシも、時期により、実家に戻っている時もあったのですが、
祖母とはとても仲がよかったので、祖父がいない時の
祖母との環境は私にとっては癒しになっていました。

ちなみに、祖父は、昼ご飯と夜ご飯を自宅で食べる以外は、
会社にいるか、外で好きな事してるか、あるいは愛人の所に行ってるかで、
更に寝泊りするのは、「祖父の認知していない子供のいる愛人宅」の方だったようです。
まぁ、行動は詳しく解らないですが、これは親族みんな周りも当たり前に知っている事で、
なので、家系の中では、そういう話が違和感なく普通にされている感じでした。

でも今考えると、祖母は「本妻」とは言え、本当に可哀想な人でした。
まぁ、でも祖母もあの祖父の気性でしたから、
いない方が気が休まる感じだったようです。

とにかく、食事時以外は、祖父は家にいない人なので、
アタシが実家にいる時期は、普通の家庭のように祖母と二人で仲良くやっていました。
アタシは相変わらず全うな人ではありませんでしたがw
10代の頃にさんざん暴れていた事があったからか、
祖母はアタシの行動にはうるさい事言いませんでした。
ただ「人様に迷惑かけなきゃ何やってもいい」とは言われてましたが。

とは言え、怒られたりする時もありましたが、いろいろ
都合の悪い事は、祖父には内緒で女同士だけで話したりしてました。
(祖父に話すとめちゃくちゃになるので)

特に、祖父は、男関係には何者も認めないってくらいうるさかったので^^;
当時の彼氏の事も、祖父は
「みらいにまとわりついてやがるクズ」とか
「あの男野郎が、みらいをそそのかして悪い道に引っ張ってる」
とか言って、毛虫のように嫌っていたので^^;

まぁ、元々ヤンキーのカップルで昔々から二人で問題起こしたりもしてましたから、
一般感覚でいっても、あまり認められないのはどこもそうだと思うんですが、
祖母は、彼氏と私の事は「あんたたち二人とも悪い」とは言っていました。

なので、普通に彼氏と二人で出かけたりする時も、祖母は内緒にしていたりしましたし、
時には、祖父に内緒で、彼氏がうちに遊びに来たりもしてました。

アタシが10代の頃、さんざん祖父と衝突してたある時期から、
祖母は、ずっとアタシの為に「今の世代」を知ろうとしてテレビを見たり、
本を読んだりしていて、その当時の若者の言葉も使ったりしていた。
私の友達は「みらいのおばあちゃんって若いよね〜」なんて言ったりしていた。

今思うと、一生懸命、アタシの世代を理解して、歩み寄ろうとしていたんだと思います。


...そして私が20歳くらいの時。
当時、私は、再度実家に戻ってきている時期で、
その時の祖母は病気になっていて、いつも寝たり起きたりの生活をしていました。

その頃アタシは、祖父が、私と祖母が二人で
暮らせるようにと敷地内に新しく建てた自宅にいました。
そこは、祖父が殆ど来ないので、いつも祖母と二人で
おしゃべりしていたり、マッタリとして平和な時間がありました。

ある日、祖母のテレビの写りが悪いという事で、
なんとか直してやろうと祖父が部屋に来た事があったのですが。
修理を始めて、それが中々うまくいかなくなってきた途端、
いつものイライラが始まり(そういうパターンなのです...)
祖母は、その雰囲気を察して、具合が悪くなってきてました。

そして祖母が弱々しく「おじいさん・・・もういいわよ...」と優しく言った途端、
祖父が「...うるせぇ!!!くたばりぞこないが!!!」と祖母に怒鳴りつけ、
思い切りドアをドタァァァーーーーン!!!(家が崩れるかと思うほど)と締めて、
出て行ってしまいました。

私は、祖母がかわいそうになるのと同時に祖父にイラついて
「・・・なんだよ、あれッ!(怒)」とブツブツ言ってましたが、
祖母は具合が悪そうに弱々しく、泣きそうな顔をして
「・・・あの人はなんで昔からああなんだろうね・・・
まぁ、でも私が選んだ人だから愚痴言っても仕方ないね・・・」
とプツリと呟いていました。

祖母は、その頃はよく
「私がもう少し若くて、こんな身体じゃなかったらね・・・
マンションでも買って、ここ出てあんたと二人で暮らすのに・・・」
と言っていた。


祖母は、昔々の「黙って耐える女」ではありましたが、
祖父が会社を築き上げるまで、ずっと後押しをしてきた人なので、
昔々はとても芯が強い女性・・・と言う感じでした。

でも、この頃は年をとったのか、今まで愚痴のひとつも言わなかった祖母も、
私の前では何度か、そんな事をポツポツとこぼしていたりもしていた。

祖母は、長年、祖父の作り上げた世界の中、色んな事をずっと我慢して耐えてきて、
でも、そこはお金はたくさんあっても、常に檻の中のように感じていたんだと思う。

祖父の息子である叔父の嫁・・・叔母も、昔々から、祖父に酷い事は言われていた。
私の家系の(祖父の周りにいる)女はみんな私と同じ「拘束感」を感じ続けてきたんだろう。

まさに大奥の世界...といったら大げさですが、アタシは、あのドラマを見るたび、
祖父のいた頃の、うちの家系を思い出しますね...。

だから、私は「大奥」を見ていると、ものすごく悲しくなる。
なんで、昔々って、そんなふうに理不尽に女が耐えてなきゃいけなかったんだろう・・・
古い時代の価値感って、女にとっては奴隷のようで、本当によくないとつくづく思います^^;


...そんな祖母も私が20代の頃、亡くなりました。
たくさんの人達の涙に見送られながら。

ちなみに祖父は、そんな時でも、祖母が危篤状態である段階から、
周りに「葬式の準備しておけ!電話しろ!早くしろ!」等と言っていました。
ただ、祖父も何か自分をごまかす為に、そうやって言っている
というのは解るんですけどね。。。^^;

そういう時は、さすがに普段逆らわない周りの女の人達も
「そんな・・・今そんな事言う事じゃないでしょう・・・」
と言いますが、そうすると「うるせぇ!」とは言わず、
黙って逃げるように、そそくさとどっかに行ってしまいます...

ホントに...なんでああだったんだろう...^^;

[続く]

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posted at 2013/02/11 1:28:28 | lastupdate at 2013/09/29 10:25:23

 


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